日中の架け橋 part1 文化の絆

     仲が良くなる必要性、 疑問と仮想
 日本と中国の関係がよくなるべきですかという質問を両国の人を聞き、「よくなるべきだ」、「どうでもいい」、「絶交したい」のような答えを言う人がそれぞれいるかもしれない。
  もし両国の人ども「よくなるべきだ」と答える場合:
経済や文化の交流が以前のように進み、不景気の世界経済にとってはいいことであり、平和な美しい光景や同じ人間同士の笑顔を見れるといいなという共通の夢を叶えられるであろう
もし両国の人ども「どうでもいい」、「絶交したい」と答える場合:
いつか戦争になるという現実的な問題が出てくるであろう。戦争の悲しさと残酷さ、日中は戦争の被害者としてよくわかってるはずだ。戦争になると、両国の関係は悪循環に陥っていき、僕たちの子供もこの恨みを受け継ぎ、
お互いに偏見を持ってしまい、どっちが勝っても、必ずいなくなった人に向いて泣いてる大事の家族がいるであろう。
   漢字
 両国の人はお互いの国に行くと、言葉が通じなくても、漢字を見ると理解できるので、非常に友好的である。発音が違うが、同じ文字を使ってることは縁がある証拠であろうか。
確かに日本の漢字は中国から入ったが、今の時代日本から中国への文化輸出もあり、アニメ、ゲーム、車と電子商品など。謙虚な態度を持ち、お互いの長所を学習するべきである
   都市や歴史
 日本の京都は唐の都・長安をモデルにしており、いつの頃か西半分の右京を長安城、東半分の左京を洛陽城と呼ぶようになった。洛陽は中国河南省の西部を流れる黄河の支流洛水、またはその北岸にあった古都洛陽の略称。京都の絵図屏風を「洛中洛外図屏風」と言うが、この「洛」とは中国王朝のの都・洛陽からきている。そこで、日中文化の交流や絆昔からも結ばれてきた。
   遣唐使
 遣唐使は当時の日本が唐に派遣した使節である。海外情勢や中国の先進的な技術や仏教の経典等の収集が目的とされた。旧唐書には、日本の使節が、中国の皇帝から下賜された数々の宝物を市井で全て売って金に替え、代わりに膨大な書物を買い込んで帰国していったと言う話が残されている(ウィキペディア百科事典から)。今の日本は先進的な工業や生産技術を持ち、美しい文化や強大な文化産業もあり、中国も昔の日本のように強い相手の長所を学習するべきである。
    要望
 日中両方が有効協力という大局に立ち、胸襟を開いて率直に意見を取り交わすならば、必ずや問題解決の方法を探し当てることができるものと信じてる。
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このページは、前川道博ゼミナールが2012年10月29日 14:37に書いたブログ記事です。

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