2013年5月アーカイブ

みなさんこんにちは。前川ゼミの小泉匠矢です。
私は2013年度も前川ゼミに所属しています。
今回は昨年度の振り返りとして、
私が取り組んでいた「真田の史跡の情報発信」で
実際に訪れた史跡を紹介していきたいと思います。

まず最初に真田三代について簡単に紹介します。

真田三代とは真田幸隆、昌幸、幸村(信繁)の3人を指しています。
幸隆は武田信玄の家臣として活躍し、「砥石城の戦い」などが有名です。
昌幸は幸隆の三男にあたり、二度の「上田合戦」で、
徳川を撃退したことで有名です。
幸村は昌幸の次男にあたり、本名は信繁とされています。
「大阪の役」で活躍し、そこから講談や小説などの様々な
物語で現代まで名を残しています。

幸村が注目を浴びるようになったのは「大阪の陣」であり、
上田には幸隆、昌幸に関係した史跡が多く残っています。

幸隆・昌幸墓所(長谷寺)
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上田市真田町にある長谷寺(ちょうこくじ)は、
幸隆夫妻と昌幸の墓所が存在するお寺です。
 
真田氏にゆかりのあるお寺なであるため、
真田家の家紋「六文銭」がいたるところにあります。
境内にはしだれ桜があり、春にはきれいな花を見ることができます。
 
信綱・昌輝墓所(信綱寺)
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上田市真田町にある信綱寺(しんこうじ)には
長篠の戦いで戦死した幸隆の子・信綱(長男)と
昌輝(次男)の墓所があります。
 
昌幸の兄にあたるこの二人は武田の家臣として
様々な戦いに参加し、活躍していました。
しかし、織田・徳川連合軍と武田勝頼との間で起こった
長篠の戦いで戦死しました。
幸隆から家督を継いでいた信綱が戦死したため、
真田の家督は昌幸が継ぐことになります。
 
上田市にはまだ真田ゆかりの人々の墓所が残っている
らしいので機会があれば訪れてみたいです。

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