松代訪問

 こんにちは、小林隆志です。今回は6月3日に前川先生と一緒に行った松代町の事をブログに書きたいと思います。松代町は歴史の香りが漂う城下町ですが、私の住んでいる「望月町とどことなく雰囲気が似ている、合併で衰退しそうになった状況も似ている」と前川先生に紹介をしていただきました。更に地域の情報発信の方法も望月町で参考になるのではないだろうかという事で、松代を訪問しました。

 松代に到着してみると紹介をしていただいた通り、望月とどこか似ているものを感じました。しかし、古い蔵のなかではおみやげ屋さんや食堂が営業していましたが、中には営業をしているのか分からないようなお店もあり、そんなところも望月宿の商店街に似ているのではないかと私は思いました。

  訪問した先は松代のまち歩きセンターです。建物の中には松代出身の偉人である佐久間象山の関わりのあった偉人の写真がびっしり貼られていました。貼られている写真を目を凝らして見てみると坂本竜馬・高杉晋作・中岡新太郎・木戸孝允(桂小五郎)といった大河ドラマでも取り上げられた事の人物の写真もありました。それぐらい佐久間象山を先生と仰ぐ偉人は多かったと言う事になります。私は難しい歴史の話はよく分かりませんが、長野県の歌である『信濃の国』にも名前が載っている佐久間象山はすごいという事が分かりました。

 今回の私のインタビューに答えていただいたのは「NPO 法人夢空間松代のまちと心を育てる会」事務局長の香山さんです。香山さんによると、松代町は

『(1)地域の歴史や文化を活か事

 (2)城下町らしい街並みづくり

(3)おもてなしの心を広げる事

(4)人にやさしい道路を作る事』

の四つを行ってきたそうです。更にテーマを変えてシンポジウムを行っているとの事でした。それらの記録を地道に残して蓄積し、10年間掛けて今があるという事でした。私が抱いていた望月町の情報発信の方法の疑問をぶつけてみたところ、今まで私が行ってきた望月町に関する情報発信の方法が一方通行であった事が分かりました。私が行ってきた情報発信の方法はブログや動画サイトを使った物がほとんどでしたが、その方法ではパソコンを使わない人はあまり見てくれないという欠点もあります。『重要なのは外の人に情報を発信する事だけでなく同じように地元の人に密着している形で何らかの形でイベントを計画して地元の人にも「自分たちの住んでいる地元にこんなに良い物があったのか、これは大切にしないといけないな」と言う事に気づいてもらう事が自然と外部への情報発信につながってくる』という言葉を聞いた時に何か開けたようなそんな気がしました。今後は情報発信をする場合は外の人だけでなく地元の人に向けた情報発信をして計画をしていこうと私は思いました。この松代訪問で私の望月町の魅力づくりの計画はわずかであるものの前に進んだかも知れないと実感したのでした。

 ブログに掲載されている2匹の猿の着ぐるみは『お猿のかごや』という曲をモチーフに作ったイメージキャラクターだそうです。この曲の作者も松代町出身だそうです。

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このページは、前川道博ゼミナールが2011年6月 4日 13:27に書いたブログ記事です。

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